浄土宗七大本山の筆頭。明徳四年(一三九三)浄土宗伝法の根本道場として、酉誉聖聰上人により江戸貝塚(千代田区紀尾井町)に創建され、天皇の勅願所に三度任ぜられた歴史を持ちます。
江戸時代初めには源誉存応上人が徳川家康公の帰依を受け、徳川将軍家の菩提寺となり、江戸城の拡張とともに港区芝に移転、二十万余坪の境内に大伽藍が造営されました。家康公より三大蔵経が寄進され、常時三千名の学僧が修学し、家康公をはじめ、以後六人の将軍霊廟が造営され、寺格百万石とうたわれました。
しかし昭和二十年の戦災により国宝であった将軍霊廟や大伽藍は焼失し、焼失をのがれた将軍宝塔・霊廟中門・三門・経蔵・黒門などを含む境内は、将軍墓所改葬や大殿(本堂)再建とともに近代的に整備され、現在も浄土宗大本山として宗教、文化活動の拠点として親しまれています。 |